ことばと文化 鈴木孝夫
「10分でわかるシリーズ」と称して、読んだ本のまとめを書いていきます。第一弾は『ことばと文化』です。
・概要
共時的展開/通時的展開 ~コース料理か、懐石料理か~
辞典、翻訳について ~辞典にことばの「意味」はない~
ものとことば ~ことばがものをものたらしめる~
形容詞について ~ヒト型規準とは?~
西欧と日本との比較論 ~西欧>日本、は安直である~
人称代名詞について ~アイデンティティはどこにある?~
まとめ ~日本人が外国語が苦手なのは…~
共時的展開/通時的展開
自国の文化にあることが他国の文化にもあるからと言って、その文化がまったく同じだとは限らない。たとえば、和食とイタリア料理。和食は白米とおかずが同時に出されてそれらを一緒に食べるけど、イタリア料理では米はコース料理の一部。どちらかというと前菜のような位置づけ。どちらも「米」だけど同じ意味をもつわけじゃない。
辞典、翻訳について
まずは翻訳について。和英・英和辞典を見ると、それぞれの言葉は一対一で正確に対応しているように見える。例えば、「飲む」は「drink」というように。でも、実はこの2つはぴったり一致しているわけじゃない。日本語では「誤って電池を飲む」って言えるけど、英語で「drink a battery」とは言わない。(swallowを使う)こんなふうに、それぞれのことばはまったく同じというわけじゃない。
次に、辞典に載っている意味について。辞典には、「定義」は載っているけど「意味」は載っていない。辞典では、ある言葉を他の言葉に置き換えているだけ。例えば、「石」は「砂より大きく、岩より小さいかたまり」。そこで砂や岩を調べると、今度は似たような説明がある。これじゃ意味を説明したことにならない。つまり辞典がやっているのは、意味の説明じゃなくて定義=そのことばの対象範囲を明確にすること。
ものとことば
「ことばがものをものたらしめる」について、いくつか例を挙げて説明しよう。例えば、「水」。化学式だと「H2O」。でも、英語では形状によって「ice」と「water」に分けられる。日本語ではさらに細かく、「氷」「水」「湯」になる。もう一つの例は、「象の鼻」。日本語では象の顔の真ん中にあるあの長いものは「鼻」というけど、英語ではあれは「trunk」って言う。木の幹と同じ部類らしい。こんな具合に、言葉によって、「それが何か」は変わる。
形容詞
日本語教育では形容詞を「イ形容詞」「ナ形容詞」と分けたりするけど、ここはそういう話じゃない。それぞれの形容詞をどう使っているのか?ということ。ここでは特に、相対的形容詞について。たとえば「象の鼻は長い」。こういったときは、潜在的に何かと比較している。この場合は、実は人間と比べてる。こんなふうに、相対的形容詞は何かしらの規準に基づいて使われている。他には「種の基準」「適格基準」などがある。
西欧と日本の比較論
よく、「日本は西欧と比べて劣っている」とか言う人がいるけど、それはことばの理解が不十分だから起きている。ことばの違いは氷山の一角でしかなく、その根幹には決定的な違いがある。だから、日本語を批評するときに、西欧の価値観を流用するのは意味がない。
人称代名詞
ここで、ヨーロッパと日本を「人称代名詞」の点から観察してみる。まず、ヨーロッパの言語の一人称の起源から。ヨーロッパ語とは正確にはインド=ヨーロッパ語族のこと。英語、ドイツ語、スペイン語(ロマンス語だけど、もっと遡ると同じ言語に行き着く)などが含まれるが、それら言語の一人称はもともとすべて「ik」。すべての言語がそこから派生しているということは、一人称のアイデンティティが数千年ずっと変わっていないということ。それに対して日本語は、一人称・二人称代名詞が次々と変わってきた。例えば、「てまえ」「きさま」などは従来他の意味の言葉だったものを、一人称などに転用してきたもの。日本では昔から自分や相手を直接示す言葉がなかったが、今もその風潮が残っている。誰かと話すときに「あなたは~」とか「わたしは~」とあまり言わない。
じゃあどういうのか?親族名称を使う。例えば、道行く人に「お姉さん綺麗ですね」と声をかけたり、迷子の子供に「おじさんが探してあげるよ」などと言ったり。親族名称に関して言うと、この言葉は話者の立場によって名前が変わる。つまり、あなたは誰かの娘であり姉であり、また妻でもあるといった具合に。
まとめ
周りに同調すること、察しが良いことが求められる日本では、甘えに繋がりかねない。それは、察しがいいことを相手にも求めてしまうから。さらに、相手との関係を規定するまでは人称代名詞を決めにくい(それだけじゃなく、話し方も)日本人は外国人と話すのが得意ではない。外国人は日本人にとって、関係が不安定すぎるから。実力というよりむしろ、そういった点から海外におくれを取ってしまっている。