33_You can't take anything for granted_当(あ)たり前(まえ)を疑(うたが)え
[English and Hiragana Below]
今日のテーマは「当たり前を疑う」。最近、これが大事かも?と思う出来事があったんです。今日は、私の体験を2つお話します。
1つ目は、30回目のポッドキャストの台本を考えていたときのこと。この番組では、ときどき季節に応じた話題を話しています。いま日本は秋なので、秋のイベントについて話そうと思ったのですが、南半球では季節は真逆なんですよね。ここは秋だけど、ブラジルは春。当たり前のことなんですが、気づきませんでした。
2つ目は、この前散歩をしていたときの出来事です。白い杖を持ったおじいさんが、私の前を歩いていました。この白い杖は、その人が視覚障害者だということを意味するようですね。そのおじいさんが、横断歩道の手前を横切ろうとして車にぶつかりそうになっていたので「目の前に車がありますよ」と声をかけたんです。また、車を避けようとして杖で何度も車を叩いていたので、車を傷つけないためにも「目の前に中くらいの車があります。その3メートルくらい先に横断歩道があるので、そちらに案内しましょうか?」と言いました。結果的にその人は横断歩道を渡ることができたんですが、あとで「私のお手伝いは正しかったんだろうか?」と考えたとき、気づいたことがありました。
私は「中くらいの車」とか「3メートル先」という言葉を使いましたが、これってたぶん、目が見える人にしかわからない表現ですよね。もし、私が目が見えなかったら「中くらいの車」がどれくらいの大きさかわからないだろうし、「3メートル」も感覚的にしか理解できないんだろうと思います。
こんなふうに、いつもは当たり前だと思っていることも、疑ってみると面白い発見があるかもしれませんよ。
[Hiragana]
今日(きょう)のテーマは「当たり前(あたりまえ)を疑う(うたがう)」。最近(さいきん)、これが大事(だいじ)かも?と思う(おもう)出来事(できごと)があったんです。今日(きょう)は、私(わたし)の体験(たいけん)を2つお話し(はなし)ます。
1つ目(め)は、30回(かい)目(め)のポッドキャストの台本(だいほん)を考え(かんがえ)ていたときのこと。この番組(ばんぐみ)では、ときどき季節(きせつ)に応じ(おうじ)た話題(わだい)を話し(はなし)ています。いま日本(にほん)は秋(あき)なので、秋(あき)のイベントについて話そ(はなそ)うと思っ(おもっ)たのですが、南半球(みなみはんきゅう)では季節(きせつ)は真逆(まっさかさま)なんですよね。ここは秋(あき)だけど、ブラジルは春(はる)。当たり前(あたりまえ)のことなんですが、気づき(きづき)ませんでした。
2つ目(め)は、この前(まえ)散歩(さんぽ)をしていたときの出来事(できごと)です。白い(しろい)杖(つえ)を持っ(もっ)たおじいさんが、私(わたし)の前(まえ)を歩い(あるい)ていました。この白い(しろい)杖(つえ)は、その人(ひと)が視覚(しかく)障害者(しょうがいしゃ)だということを意味(いみ)するようですね。そのおじいさんが、横断(おうだん)歩道(ほどう)の手前(てまえ)を横切ろ(よこぎろ)うとして車(くるま)にぶつかりそうになっていたので「目(め)の前(まえ)に車(くるま)がありますよ」と声(こえ)をかけたんです。また、車(くるま)を避けよ(さけよ)うとして杖(つえ)で何度(なんど)も車(くるま)を叩い(たたい)ていたので、車(くるま)を傷つけ(きずつけ)ないためにも「目(め)の前(まえ)に中(ちゅう)くらいの車(くるま)があります。その3メートルくらい先に(さきに)横断(おうだん)歩道(ほどう)があるので、そちらに案内(あんない)しましょうか?」と言い(いい)ました。結果的(けっかてき)にその人(ひと)は横断(おうだん)歩道(ほどう)を渡る(わたる)ことができたんですが、あとで「私(わたし)のお手伝い(おてつだい)は正しかっ(ただしかっ)たんだろうか?」と考え(かんがえ)たとき、気づい(きづい)たことがありました。
私(わたし)は「中(なか)くらいの車(くるま)」とか「3メートル先(さき)」という言葉(ことば)を使い(つかい)ましたが、これってたぶん、目(め)が見える(みえる)人(ひと)にしかわからない表現(ひょうげん)ですよね。もし、私(わたし)が目(め)が見え(みえ)なかったら「中(なか)くらいの車(くるま)」がどれくらいの大き(おおき)さかわからないだろうし、「3メートル」も感覚的(かんかくてき)にしか理解(りかい)できないんだろうと思い(おもい)ます。
こんなふうに、いつもは当たり前(あたりまえ)だと思っ(おもっ)ていることも、疑っ(うたがっ)てみると面白い(おもしろい)発見(はっけん)があるかもしれませんよ。
[English]
Today's topic is about the questioning of norms. Recently I had experiences which made me wonder whether it is important to do that.. Today, I would like to talk about two of these experiences.
The first one was when I was preparing the script for the 30th episode of my podcast. I sometimes talk about seasonal topics in my podcast. Since it's autumn in Japan now, I thought I'd talk about autumn events. But I realized that in the Southern Hemisphere the seasons are exactly the opposite. It's autumn here, but it’s spring in Brazil. Now I know it’s obvious, but I didn't realize it at the time.
The second one was when I was taking a walk the other day. An old man with a white cane was walking in front of me. A white cane means that the person is visually handicapped, right? He was about to cross the pedestrian crossing and walk into a car, so I called out, “There is a car in front of you!” He was then tapping the car with the cane many times, struggling to find his way around it. So I said to him, "There is a medium-sized car in front of you. But there is a pedestrian crossing about 3 meters away. Shall I guide you to it?" in order to prevent the car from being damaged. As a result, he was able to walk across the pedestrian crossing, but later I wondered, “Did I help him correctly?”
I used the words "medium-sized car" and "three meters away," but these are probably expressions that only people with vision can understand. If I was visually impaired, I wouldn't know how big a "medium-sized car" would be and would only be able to understand "3 meters" through sensation.
By doubting what you take for granted in these ways, you may make interesting discoveries.